ラボから製造へ──不合理に立ち向かう構えの継承

2025年6月
文・構成:K.Kato × ChatGPT


ある若き起業家との対話が、私の記憶を静かに揺さぶった。

彼は大学時代、生命科学の実験現場に身を置いていた。そこで彼が抱いたのは、憤りとも呼べるほどの違和感──時間を費やしながらも、成果が追いつかない。手間や手順が、誰のためのものかさえ曖昧なまま繰り返される現場。彼はそれを「不合理」と呼んだ。

その感覚は、私にも覚えがある。かつて、私自身が経験してきた技術開発の現場、ものづくりの現場、そして事業のスケールにおける綻びの数々。それらの背景には、見過ごされた非効率、見ないふりをしてきた手作業、属人化された“職人の勘”があった。

彼はその「不合理」を出発点に、自らの領域を変え、実験の自動化と知識の構造化に取り組んだ。その姿勢は、まさに問いに対して自ら応答する構えであり、単なる技術者ではなく“再設計者”としての生き方であるように感じた。

私が惹かれたのは、その構えだった。

そしてふと思う。
この「ラボの非効率」を自動化するという動きは、製造現場にも通底しているのではないか、と。

研究者が抱える単純作業の反復や属人的判断。これは製造業における作業者の現場にも当てはまる。人が人であることの尊さを否定せず、しかし「変わらぬ不自由」を許容しない。そこにこそ、技術の意味が宿る。

私の経験では、小さな研究開発組織が、現場力を持つ中小企業と手を組むことで、大きな力が生まれた。同盟関係──それは対等であり、補完的であり、共鳴的であるべきだ。片方が知を掘り、片方が地を耕す。この構造が機能するとき、問いと解の往復が可能になる。

ラボと製造のあいだに、一本の線を引いてはならない。むしろそこに**“構えの転写”**が起こるとき、まったく新しい現場が立ち上がる。それは、装置でも技術でもなく、構えの再設計による現場知の解放だ。

いま、この国に必要なのは、大きな産業政策の再定義でも、劇的な技術革新でもない。
静かに、しかし確かに、「問い続ける人」と「手を動かす人」が出会い、共に悩みながら進める場だ。

そして、そんな出会いに、私はこれからも機会を与えていきたいと願っている。
かつて、私も偶然に与えられたように。

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