朝の時間が変わった。
以前の朝がどんなものだったか、もう少し遠くなった気がする。いつの間にか、KDFCのクラシック音楽を流しながら、ClaudeやGPTと言葉を交わすことが、目覚めの一部になっていた。静かで、創造的な時間。それが今の朝の正確な描写だ。この変化が始まったのは一年ほど前からだが、ここ数ヶ月で質が変わった。生成AIが「使うもの」から「ともにあるもの」になった。
今朝も、届いていた情報レターを開いた。「ASIC向けHBM需要、2028年には35倍」という数字があった。なぜ35倍なのか。背景を問うと、GPUからカスタムASICへの移行という構造変化が浮かび上がった。GoogleのTPU、AWSのTrainium、MetaのMTIA。ハイパースケーラーたちが自社のAIワークロードに特化したチップを持ち始め、その特化が今度はメモリへの要求を爆発させている。演算が速くなるほど、データを供給するメモリの帯域がボトルネックになる。特化の連鎖が、次の需要を生む。
この構造は、自分の朝の時間と同型に見えた。
汎用のまま何でもこなすより、特定の問いに集中する時間をつくることで、思考の帯域が広がる。KDFCは環境を整え、AIとの対話は思考を引き出す。ニュースレターを読むという行為が、「情報を受け取ること」から「問いを立てること」に変わった。この変化は、ツールの進歩だけでは説明できない。こちら側の使い方が変わったのだ。
長男が言っていた。「今はearly adopterのタイミングだ。生成AIが本格的に普及した時には、その存在が見えなくなる」と。
電気が空気になったように。インターネットが空気になったように。生成AIも、やがて意識されなくなるだろう。だとすれば、今この瞬間は特別だ。まだ見えている。使っているという感覚がある。その感触とともに、思考が変わっていく過程を、自分は今、内側から経験している。
空気になる前に、記しておきたい。この朝の静けさと、問いが生まれる感覚を。
響縁録に収める場合、タイトル案は「空気になる前に」か「まだ見えていた朝」あたりはどうでしょう。

